人は見かけ

久々に現場復帰したのはいいけれど、わずか二三日働いただけで体ガタガタ、昨日の朝は左膝が曲がらなくなってしまった。

普段ウィークデイは会社まで片道約20分チャリで通勤してる。入院するちょっと前までは電動チャリだったから、その半分の10分くらいで行けたのに、ネット通販で購入したその電動チャリが壊れてしまい、今はそれまであった古い自転車なので坂道が少々きつい。それでも都内に比べるとのどかな空気と風景の中、これからの季節のチャリは気持ちいいもんだ。しかし昨日はそのチャリのペダルも漕げないくらいの激痛で、しかたなく会社に電話を入れ家の近くまで迎えにきてもらった。情けないな、約一ヶ月休んでいたらもう働く体になっていないんだな。

こんな時俺の見てくれは損をする。身長(自分では178cmだと思っていたら、入院時の測定では何度測り直しても174cmで、看護士によれば「歳をとれば仕方ない」との事)は高いし、見てくれからしていかにも頑丈そうに見えるらしく「僕は病弱で体質も虚弱なんです」と言ってもいかにも真実味に欠けるらしい。花を活ける時だって、雑誌の編集部は「豪快な作品をお願いします」みたいな要望が多く、内心では「風に優しくそよぐ、線の細い繊細な花活けが好きなのに」と思っているが、どうもそうは見えないらしい。また学生時代も事あるごとに何か問題が生じると「おまえが悪い」と教師から言われていて、俺はその都度「この野郎、見てくれで判断すんじゃねえよ。もっと内面的なものを見て判断してくれよ」などと思っていたもんだ。

だけどやっぱり世間的には 人は見かけ なんだよな。どうしてもその人が持っている印象で判断されがちになることが多い気がするよ。でも見かけによらずってな事もいっぱいあるしな、必ずしもそうとは言い切れまい。容姿端麗、眉目秀麗な人が案外だらしなかったり意地悪だったりするし、いかにもチャランポランに見える人が実は人の何倍も働き者だったり、一見遊び人風な人が本当はくそ真面目だったりと、要は人は見かけじゃなく、見えてない部分をちゃんと見ているかどうかが大切って事だよな。

ちょうどこれからの季節、花屋の店先にチョコレートコスモスが出回り始める。見かけによらず俺はこの花が大好きで、ついつい買ってしまう。先日も数鉢買ってしまい、早速ポットから出して植え替えし終わり「可愛いな」などと一人ほくそ笑んでいたら、お向かいさん家のヒカちゃんが幼稚園から帰って来たので「ヒカちゃん、この花はチョコレートコスモスと言って色もそうだけど匂いもチョコレートの香りがするんだよ、ほれ」と言ったら「ふーん、じゃまたねバイバイ」と素っ気なく行っちまったよ。残された俺はチョコモス「可愛いのにな」と独り言をつぶやいた次第でした。