図に乗る

思いどおりになってつけあがるってな意味だとおもうけど、今の時期このハクモクレンを目にするたびに「図に乗る」の言葉が頭を過る。

花稼業を生業にしていた頃、店売りの割合は殆どなかった。理由は色々あって、お店で小売りをするということは当然ながら常時店に待機していなくてはならない。これは俺にとってかなり苦痛なことだ。まがりなりにも看板を掲げ、一応は店舗だから毎日お店に来てシャッターを開け開店の準備をして客を待つわけだ。ここまでは俺も他のお店と同様にする。それからコーヒーを入れながらレゲーかなんかかけて一二時間、もう限界だ。

「今日は花教室もないし、活け込みの予定もない。おまけに絶好のお出かけ日和とくりゃ、日がな一日来るかどうかわからぬ客を待つってどーなの?」答えは早いよ。つまりお店で小売りをする気が殆どないんだな。ならば店番でも雇えばいいのにと思うだろ。俺も以前はそう考え、何人も女子を雇ってはみたけれど、それはそれで疲れるんだよ。そこそこ機嫌をとらないと仕事が潤滑にならんし、それに我が店のお客さんの殆どは俺をご指名で、他の人が作るアレンジやブーケではダメなんだ。これが第一の理由だ。

第二の理由は、一週間のうち土曜と日曜以外は契約先の活け込みがあって、こちらの方が仕事としては断然面白いからだ。

第三の理由。店売りは日銭が入る故、その日の売り上げが飲み代もしくは遊ぶお金に化けてしまう事だ。これではいったい何のために働いているのかって話だろ。

理由その四。・・・・などと列挙してもきりがない。とどのつまりは接客してお店の売り上げの努力を惜しまないってことが苦手で不向きなのだ。まあ店主としては失格だな。

これらの仕事の他、雑誌やテレビなんかもそれなりにこなしており、そうすると花屋であっても撮影先やら仕事先で「先生」と呼ばれる場面も多く、もちろん花教室の生徒さんも俺を「先生」と呼ぶもんだから、どこかで勘違いしてしまったんだろう。このあたりが器の小さい小物なんだよな、俺。

それとハクモクレンとどういう関係があるのかって?

活け込みという仕事は、毎週契約しているテナントやオフィスビルあるいは個人のお宅へ出向き、あらかじめ準備した花材を現場で活ける仕事で、本来ならばクライアントであるお客さんの要望どうりの花活けをするものなのだが、そんなこんなで図に乗りまくってる俺だから、好き勝手に自分が活けたい花活けを最優先していた。

とある代官山のこ洒落たエスニックレストランも例外ではなく、ある時天井から吊るした木製の花器に溢れんばかりのハクモクレンをドサッとタップリ活けたんだよ。それは見事な迫力の花世界ではあった。その場限りの写真撮影ならばこれでOKなのだが、基本的に活け込んだ花は次回の花活けまではなんとかもたせないといけない。それはそうだ。けっして安くない活け込み料金をちょうだいしているのだから、もし俺がクライアントの立場だったら、二日三日で枯れてしまうような物に高いお金は払わないだろう。そもそも出荷前の花材は寒い環境で寝かせてあるので、市場から仕入れて暖房の効いたテナントなんかでは一気に水を吸い、固い蕾もパーっと咲いてしまう。特にモクレンのような大振りな花はそのスピードが顕著でせいぜい四日が限度だ。あとはバサっと床に落ち白い花が茶色に変色してしまう。椿なんかもそうだ。

なにが図に乗っているかと言えば「これは俺の作品なので、咲き終えて床に落ちた花にも手を触れないで欲しい。枯れていく様も含めてひとつの作品なんだから」そうぬけぬけとお店側に言ってのける俺の姿勢が図に乗った態度で、一人よがりも甚だしい。

案の定、次回の活け込みに訪れた時、何一つ花がついていない枝の真下にはおびただしい量の枯れた残骸が手つかずで残してあった。毎日その経緯を見ている店のスタッフならともかく、初めて来たお客は「なんだコレ!」の世界だよな。

この時期、咲き誇っているモクレンを見るたびに、穴があったらはいりたいこっぱずかしい気持ちになるよ。

くれぐれも 図に乗った言動は慎まなければいけません。みっともないったらありゃしねえ。はくれん