なつかしい闇

なつかしい闇
三年前の原稿です。
バレンタインが近づく二月ともなると、街中いたるところにチョコレートとハートマークが氾濫し、おっさんにとしては少々馴染めない空気に「うんなもん」ってな気持ちになる。その勢いはチョコレートにとどまらず、先日の夕刊の映画紹介コーナーには「大切な人とラブストリーを」ってんで、さながら愛の大安売りだ。「幸せ・嫉妬・裏切り  すべてを抱きしめた時 愛がはじまる」抱擁のかけら。「大人達よ 間違った恋をしよう」50歳の恋愛白書。
いったい誰が考えるのか、上手いキャッチコピーをつけるもんだ。しかし、ケチをつける気持ちはさらさらないが、恋に間違いもへったくりもないし、かりにその言葉を真にうけ、間違った恋をした結果そこに待ち受けているのは、だいたいが散々な目にあう修羅場と相場は決まっており、世間からは「いい歳をして、なんと愚かな人だ」といったうしろ指を指されるのがおちだ。まあそれはさておき、自分も還暦を過ぎてから、これまで気にも留めなかった記事や文字に反応することが多くなった。「60才のラブレター」「愛される老人とは」「実りのある熟年ライフ」「おだやかな老後の人生」等々。これらの文字を目にする時、本当に世の老人や熟年とされる人達はそんなふうに考えているのか?なんの迷いもなく残りの人生悠々自適に暮らすことを良しとしているのか?ならば人生60年生きてきて、未だにウロウロ迷っている自分はどうなってしまうんだ。なんかおかしいぞ。世のおっさん達よ、世の中の風潮がどうした、そんなもんに惑わされるのは止めようぜ。大きなお世話だ。いつの頃からか、お台場やみなとみらいのようなアウトレットモールや大型ショッピングモールが立ち並び、見苦しい物や美観を損ねる物を裏に隠し、明るく健全で安心な、まるでアミューズメントパークごとき場所に成り果て、それらにこぞって老若男女が集まる。いったい俺のようなおっさんは何処へ行きゃいいんだ。そういう小洒落た場所に拒否反応を示す、時代遅れのおっさんだっているんだ。そもそも、これまでの時代、高度成長期を背負ってきたのは団塊の世代であるおっさんの俺達だ。おっさんは百戦錬磨だ、言ってみりゃベテランってことだ。おっさん達よ、世の若者や子供達に媚びへつらい迎合することなく、間違ってもチョイ悪おやじ(もはや死語か)を気どって若い姉ちゃん達の気をひこうなどとゆめゆめ思ってはいけない。俺達おっさんのワンダーランドなら全国津々浦々にあるぜ。それ繰り出せ!誰はばかることなく、得意満面で放蕩三昧を尽くそうぜ。年季の入った昔のお姉さん相手に人生語るもよし、事と次第によっちゃあ老いらくの恋に落ちたっていいんだ。卑屈になるな、背筋を伸ばせ。加齢臭がなんだ、年金?そんなもん知るか。頻尿感?それがどうした。ハゲで悪いか。シルバーだと?ふざけるな。稼ぎのない能無しの役立たずで悪かったな、ならば仕事をよこせ。この野郎!あたりきしゃりき、ケツの穴ブリキってんだ。なにはなんきんブタの糞だ。ぼんさんが屁をこいた、神社仏閣ナンマイダだ。どうだまいったか!もっと酒を飲ませろ。ああ、どうしたこりゃこりゃ。見たか、これがおっさんの正体だ、おっさんの見果てぬ夢、ロマンだ。恐れ入ったか。ざまみろ!って誰か止めてくれ。          いかんいかん、危うく嫌な爺の典型になるところだった。「なにも言わぬが笑ってみせる。ああ、これがおっさんというものさ」であった。いやはや、取り乱してみっともない恥をかいてしまった。とはいえ、男達はこういった不健全な闇から、学校では教えてくれない貴重な多くのものを学んできたのにと、老婆心ながら思ってしまうのでした。