ピュアな心でいること。

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午前中からたっぷりの日差しが注ぐ俺のジャンクガーデン、今朝は時間もたっぷりとあったもんだから、ほうりっぱなしのままであった庭の手入れをしてみた。

黄梅をはじめ雪柳も咲き出し、モッコウバラやスモークツリー、大手毬などの枝ものも小さいながら花芽をつけているのを発見し、春本番はすぐそこまできていることを実感する。クリスマスローズも鉢から種がこぼれ落ちたのだろう、庭の地面から可憐な緑がかった白い花を咲かせていた。

2時間くらい花がらを摘んだり雑草とりをしたあと、久々に庭の花を活けてみた。

仕事としての花活けをいっさいやらなくなって久しい。花稼業をしていた頃は、毎日毎日当たり前のように花活けをしていた。それはクライアントや雑誌を見てる読者、TVの画面を見る視聴者、或はオーダーしてくれるお客さん、ワークショップに通う生徒達、活け込み先のテナントやオフィスの人達etc、それらの大勢の人の目を心のどこかに意識しての花活けであった。

「どうよ、俺の花って!」「この花を見た全員を圧倒させてやる」「これが俺の花だ!」花と向き合う時は特別意識はせずとも自然にこういったスイッチが入ってしまっていたんだ。それがたとえ鼻持ちならぬ独りよがりや傲慢な思い上がりであっても、プロとしてお金を頂戴して花を活ける者としては、ある程度必要なことかもしれない。実際競争が激しい大都会の真ん中で世間の注目を浴びるには、これくらいの気持ちで仕事をしなくてはやっていられないのも確かではあった。正直な話、これはかなり疲れることだ。つねにテンションを上げ気合いを入れまくり花と対峙する毎日、決して奇をてらったりウケを狙い本意を隠して迎合したりはせぬが、それでも心のどこかには少なからず人の目は必ず意識していたように思う。

今にして思えば、本来理想とすべき「心を無にして」花と向き合う姿勢との葛藤でもあったわけだ。

このことは音楽の場面にも全く同じことがいえる。数年前にバンドを再開した。現役の頃は客の前で演奏することが仕事だから、毎日毎日ステージに立ち特別な意識も持たず演奏していた。今俺達のバンドは、客も誰もいないところでリハをしている。なので純粋に5人のメンバーと一緒に曲と向き合って音出ししている。ガキの頃「ただバンドがやりてえ!」の思いだけでやっていた頃に近い気持ちで演奏してる。

今日、庭の花達をちょっとづつ摘んで花を活けた。そして思ったよ。

ピュアな心で花を活けることの、なんと難しい行為か。

ピュアであり続けることの大切さ、難しさ。

ピュアってなんだ? そんなことを考えてしまった午前中であったよ。