鬼に金棒

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花稼業をしていた頃、俺が使用していた名刺だ。

どう、いい字だろ。友人で書家でもある牧村氏に頼み込んで書いていただいた。これだけの書であるからして、これに相応しく厚手の高級和紙を使用した。

名刺が出来上がってきた時は嬉しくて嬉しくて「お守りにもなるから、有り難くとっておきなさい」などと、恥ずかしくもなく花教室の生徒達に手渡していたもんだ。ある時、製薬会社のテレビコマーシャル(宮崎あおい主演)の仕事の依頼があった。テレビの撮影現場というのは、信じられないくらいのスタッフやら関係者が集まる。それらの人達が「はじめまして、どうぞよろしく」と名刺交換にくるものだから、アッという間に50枚ほどのこの名刺が無くなった。また、花活けのイベントなどの時も「先生」などと呼ばれてその気になり「よっしゃ、よっしゃ」と配りまくっていたら、これまた瞬く間にこの名刺が無くなってしまった。

「まずいな。こんな調子じゃ、いくら名刺を用意してもきりがない。見栄を張ってこんな名刺を作ったが、これじゃ金がかかって仕方ねえ」と、それからはぺらぺらの普通の紙にしたもんだ。

今日、病院で診察券を出すおりに、たまたまカード入れの中からこの名刺が出て来て、ふっとその頃の事を思い出した。

つまり何が言いたいかというと、恥ずかしくもなく「私はこういう者です」と胸を張りながら自分をアピールしていたあの頃の勢いが、今の俺には欠けていた事に気がついたんだ。

「そんな事ねえよ、あんたは十分に俺が俺がと言ってるぜ」と思われるかも知れないが、決してそんな事はなく、そんなんだから病魔にもやられてしまうのだ!と思うのだ。

最近Facebookを始めた。それで気がついた事がある。確かにFacebookは便利なツールだ。それが証拠に、俺も奇跡的に娘と再会を果たし、また懐かしい友とコンタクトもとれた。でもな、どうもあの「いいね」というのには馴染めん。しかし、馴染めんと言いながら俺自身も「いいね」をしている。この矛盾はなんだ?

決して悪意をもって見ているわけではないが、あまりにも綺麗事過ぎるのだ。皆の賛同が、共感と言ってもいい、どうも俺とはズレているような気がしてならない。迎合とまでは言わぬが、あくまでも自分は自分でなくてはいかん。しかし、世の中俺と同じ価値観・美意識を持った奴らばかりでは、これはとんでもない事になるのは承知しているから、問題とすべきは俺自身なのだ。

昔に使用していたこの名刺を見つけたのは、おそらく何かの啓示なのかも知れない。

鬼に金棒!

鬼も金棒を持って、はじめてAランクの強さを発揮するのだ。気付かぬうち、俺の金棒は杖にと変わってしまっていた。「鬼に杖」そんなんじゃあ、鬼のお面をつけたただのふざけた爺ではないか。

とまあ、懐かしい名刺とご対面して、そのように思った次第ですわ。

大事なことを忘れていました。

検査結果ですが、CTでは異常は見つからず、腸内の内視鏡になるかも知れません。セカンドオピニオンも含めて、病院の変更も考えております。

それにしても「使用した造影剤を尿から排出するためにも水分を多めに」を実行したら、30分おきにトイレだよ。しかも処方された痛み止めが座薬とは、トホホです。