お父さんのバックドロップ

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本日は午前2時に起き、都内神宮前まで仕事に行ってきた。

春休みなのか、表参道は平日にもかかわらずたいそう賑わっておったよ。

東京とオサラバして早6・7年になるのか? よくもまああの雑踏の中で30年以上も暮らしていたもんだ。

で、突然だけど、今ヒーローについて考えてるところだ。

物語には必ず主人公がいるわけだが、俺が考えているヒーローはそっちではなく、常人ではあり得ない超能力を持ち、悪人どもをバッタバッタとやっける英雄・・・っとまでもいかなくて、まあ、憧れというか、所謂そっち方面のヒーローのことだ。

俺達が子供の頃は、テレビドラマの西部劇に登場するヒーローに夢中になったり、又は力道山の空手チョップに熱狂したり、高校生の時は唐獅子牡丹の健さんに憧れたりしたもんだ。そして、もっと身近で言えば、近所の野球の上手い年上のあんちゃんや、ギターがめちゃくちゃ上手かった同級生に羨望の眼差しをむけたりな。自分の周りには必ず何人かのヒーローがいた。

そして大人(いや爺ではあるが)になった今思うのだよ。

「俺は誰かにとってヒーローか?」ってな。なにを今更ってな気もするが、やっぱり男は誰かのヒーローでなければいかん!と思うのだ。

大人は子供達にとって、力の強い奴は弱い者達の、先輩は後輩達の、彼氏は彼女の、亭主は女房の、父親は息子に、師匠は弟子達の、兄は弟や妹達の・・・・。等々。

男は自分の周りにいる身近な人達のヒーローたる存在でなければいかんのだ。

きっとヒーローは疲れる。そこそこ見栄もはらにゃいかんし、彼らの前では手抜きも出来ん。嫌な事ややりたくない事も身を以て示さにゃいかん。

だけど男と生まれたからには、少なくとも自分から進んでその座を降りるってことは、極端な言い方ではあるが、男を捨てるってことだ。

俺はこれまでの人生、雇われて仕事をすることがなかった。今こうしてなにかの縁で出会った男達と一緒に仕事をしている。なので男同士の言動を目の当たりにする毎日だ。

日々見習うべき事柄も多いが、そうでない面も目にする。

そんな時はいつも中島らもの短編「お父さんのバックドロップ」を思い出すんだ。

そして「やっぱ男はヒーローじゃなきゃ駄目じゃん。俺は誰かに夢を与えられ、誰かにとって憧れをもたれる存在でありたい」と願う。

っとまあ、近頃は特にそう思うのです。