反省の色は?

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去年の春に、我が家の庭に仲間入りした黄梅の花が咲いた。別名迎春花と呼ばれるように、一足早く殺風景な庭に真っ黄色の輝きを放って、いかにも「もうすぐ春だ」と言わんばかりだ。

しかし植物は律儀なもんだ。こうしてちゃんと時期になれば花を咲かせ、春の訪れを知らせてくれるもんな。

グリーンや花達の育て方って、人とのつき合い方に似ている。

昔、花稼業をしていた頃、当然商品として花の苗や観葉植物も扱っていたので、よくお客さんから「管理はどうしたらいいのか?」とか「水やりは?」「肥料はどうするの?」などといった質問をうける。

いちおう管理の目安みたいなことを簡単に説明はするんだけどな、けれどマニュアルに従って育てれば、それで大丈夫、安心ってな訳にはいかない。

だからひととおり説明したあとに「最後は愛しかないよ」って言う。

大概は怪訝な顔をされるけれどな。

それはどうしてかって言えば、こいつらは俺達と同じ生き物で、生きている以上環境が大切になる。その植物が置かれる環境がみな同じならともかく、植物にとって必ずしも心地よい場所ばかりとは限らないし、或は購入したお客がものぐさな人だったり、その反対で必要以上に面倒をみすぎたり世話をやいたりする人だったりと様々なので、たとえば「こいつは水が好きだから、三日に一度は水やりして」とか「日光が大好きなので、一日中陽が当たる場所に置いて」「肥料は春から秋に液肥を少し・・・」などとのアドバイスはたいして役にはたたないものだ。

「じゃどうすればいいんだ」ってなるよな、そこで人とのつき合い方と同じってなるわけだよ。

だって人同士のつき合いにマニュアルなんて必要か?

一人一人個性があって、育って来た環境や習慣、感性も違えば美意識やアイデンティティも同じなんてあり得ん。

ならば何が一番大切かといえば、相手の気持ちを想像するってことに尽きるべ。親切も自分本位になれば迷惑だし、愛情や好意も押しつけでは相手に受け入れられん。

ましてや花やグリーン達は「寒い」だとか「暑くてしかたねえ」「喉が渇いた、水を飲ませろ」とも言えないし「体調が悪い、病気かも」も知らせる伝もない。

つまり俺達人間が、自分の中に優しい気持ち、空気と言ってもいいかも、それらを感じながら植物と向き合えるかどうかしかない。

今日の休日の昼間、咲いている黄梅の花を眺めながら「俺はそれらが出来ているのか?」「俺には感じる力がちゃんとあるか?」などと思った次第だ。

いつも庭のグリーンや花達の世話をした時に感ずる、平和で穏やかな優しい気持ちって、もしかしたらあいつら達からの「サンキュウ」ってお返しなのかもな。

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俺の中では黄色って、これまではセクシーでクレイジーな色って思っていたが、今回からは反省の色ってことになりそうだ。

「おまえは口先ばっかりで、ちっとも反省の色がみえん!」と言われたら、これからは「真っ黄色です!」って答えるべ。