虚心
長い間愛読しているブログが二つある。
一つは、先日亡くなった友達である長野さんの「森の日記」、そしてもう一つは嶽本野ばらのブログである。 嶽本野ばら、知っているだろうか?大麻取締法違反で逮捕されたり、ちょっと前にも薬物で逮捕や破産問題等で世間を騒がした作家である。俺は90年代に彼が書いた「それいぬ」以来の熱心な野ばらファンで、出版された小説やエッセイは殆ど読んでいる。彼の文章は読んでいて本当に気持ちがいいし、魅かれる。俺も昔のブログに「あいつこそ本物のパンクだ!」と絶賛したことがあった。
さっき、野ばらのブログを読んだ。以下野ばらの原稿を抜粋します。
いわゆる人気稼業をしています。否、それが稼業になってしまったものの、考えれば物心つくころから自分は人気というものを非常に気にしていて、人気を得る事で自己価値を得るのを当然の行為として捉えてきました。
つまり僕にとっては、人気イコール価値なのです。
だけど、当然のことながら価値のあるものが人気のあるものではない。一人のニーズのみなら、それは人気のない商品だが、一人にとってなくてはならないものであるのなら、その商品はとても価値をもつ。
中略
昨今、このようにブログやTwitterを皆がやり、誰もが簡単にユウチューブやニコ動などで、なんらかを発信出来るようになると、自然と全ての人が自分の人気を気に掛けなければならない状態に追い込まれます。
アクセス数やコメントはダイレクトに発信する者に届く。
中略
僕はとても自己顕示欲の強い人間ですから、人気をとても気にしてしまいます。そこに価値観を求めてしまいます。
が、人気を幾ら得ようが、自己顕示欲は満たされるものではありません。
中略
踊らされないで下さい。平均点より上だから受験に合格が出来る、下だから劣っている、もっと頑張らなければならないものでないことは、誰もが知っているはずです。
このようなソーシャルメディアが新たなる人気の競争の場となることの愚かさを、僕は危惧します。
ソーシャルメディアがもたらす意識革命の可能性を大事にしたいから、こんなことを書いてみました。
以上途中省略したが、9月10日の野ばらのブログを抜粋してみた。
まさに同感してみたよ。以前に「何故俺はこんなに野ばらに惹かれるんだろう?」と漠然に思っていた。それが、ある時「そうか、わかったぞ。野ばらと俺の恋愛に対する価値観が全く同じなんだ」であることに気がついたんだ。そして「じゃあ、こいつに惹かれるのはごく自然の成り行きだ」と大いに納得したことがあったが、今回野ばらのブログを読んで、またしても大納得したしだいだ。
さて、友人二人の死、さらにこの瞬間も病魔と向き合っている親しい友を想い、脳天気な俺も凹みまくっていたが、今日を境に明日からまた元気で活躍しまくろうと思う。
友のメッセージには、半端ではなく全力で応えなくちゃ、友情が廃るってもんだ!です。