キャンプ富士。

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ハイウェイメンのリハが25日に決まった。
前回のリハを4月8日に湘南のスタジオでやて以来になるから、4ヶ月ぶりになる。
俺の病気のことや、メンバーのスケジュールが合わず遅れに遅れてしまったが、ようやくなんとかリハ日を確保できた。
現役の頃のハイウェイメンは、主に米軍キャンプがホームグラウンドであった。
毎月のスケジュールも、先ずは金・土曜日は縦割りでキャンプ内のクラブのステージがブッキングされ、それは年間通して変わらない。
北は青森の三沢基地、南は九州の佐世保と日本全国の米軍基地を回った。
キャンプ内は日本であっても日本ではない。
客の殆どはアメリカ人の兵隊であるため、バンドに対する目はそれなりに厳しいものがある。
それに対して、新宿や六本木、渋谷、赤坂等の日本のクラブは、ある意味気が楽であった。
当時流行っている曲、例えばセックス・マシーン、ゲット・レディー、愛のディスコティック、ザッツザウェイetcこの手の曲を演奏していれば先ずはダンスフロワーはいっぱいになる。
ところがキャンプの場合はそうはいかぬ。
ソウル色が強いクラブは、全米ソウルチャートで人気の曲は必須だし、ロック色の強いクラブは日本のヒットパレードのロックでは客は納得しないのだ。
俺達ハイウェイメンはキャンプバンドのプロだ。
なので、そのあたりのレパトリーは豊富に持っていた。
でなければ、キャンプバンドは務まらないからだ。
でも、そんな俺達でも苦手なクラブがあった。
それがキャンプ富士である。
富士山の麓にある、米海軍海兵隊の演習場だ。戦車が走る山道を抜けるとカマボコ兵舎が立ち並ぶエリアがあり、その中にクラブがあるのだ。
普通クラブといえばウェイトレスがいたり、半数は女性客であるのが通常であるが、このキャンプ富士は女っ気は全くなしだ。
この時点で俺達バンドのモチベーションも当然凹むわけだが、酒を売るコーナーには金網、客席はアルミの椅子とテーブル、クラブの出入り口には小銃をぶら下げたMPが立ち、ステージ最前列の兵隊達は迷彩柄の戦闘服の足をステージに乗せて、演奏前から飲んで騒いでる始末。
しかも海兵隊、通称マリンコの連中ときたら、戦場においては真っ先に突進していく奴らなので、二の腕なんか俺達の数倍はあるし、身長だって190センチぐらいある猛者どもである。
そんな連中を前にして「みなさ〜ん、こんばんわ。ハイウェイメンで〜す。よろしくね〜」なんて言ったって誰も聞いてはくれない。
だが俺達もキャンプバンドのプロだ。
演奏前に作戦をたてる。
日本全国キャンプ内のタイムスケジュールは同じで45分演奏して15分ブレイク、それを4回。そして最後に1時間演奏して終わる。これは決まっているのだ。
かなりハードだよ。日本のクラブみたくディナーミュージックをトロトロ演奏なんて出来ない。頭からドカーンとかまさなければ、客のつかみはとれないのだ。
「いいか、みんな。今夜は2ステージくらいでおひらきにしようぜ。もしステージにモノが飛んできたら、その瞬間に演奏は中止、各自自分の楽器は壊されないように守って、喧嘩のまきぞいは喰わねえように」ってなことを楽屋で打ち合わせるのだ。
どういゆことかっていうと、普通クラブはダンスフロワーがあって、それぞれパートナーとバンド演奏でダンスするだろ、でもこのクラブは女は一人もいないし踊るフロワーもない。
カマボコ兵舎の中央に安っぽいステージがあり、それを囲むようにテーブルがデタラメに並んでいるだけで、この環境の中、通常の5回ステージは不可能に近い。
さらにマリンコ達はこのキャンプで訓練を受けた後沖縄に運ばれ、そこから戦地へと行くのだ。
そりゃ全員殺気だっていたって、なんら不思議じゃない。
1回目のステージが始まる前にはもう全席が猛者達でいっぱいになる。
右側に黒人、左側に白人、真ん中辺りにフィリピン人が陣取り、口々に「ロックンロール!」「ソウル!ファンク!」の大合唱が起こってる。
マジだよ。こんな状況日本では想像できないだろ?
初めてこの場に立つバンドだったら、足がすくむってもんだ。
それで先ず1曲目は無難なところでドゥービーブラザースのロングトレインあたりをかます。まあ、シロもクロも喜んでギャーギャーとノッてる。
次にストーンズのブラウンシュガー、ZZトップ、レイナードスキナードあたりのロックを立て続けに演奏すると、右側の黒人達がブーブーと騒ぎ始めるのだ。
その様子をステージ上で見ながら、今度はジェームス・ブラウン、ファミリーストーン、クール&ギャングなんかを演奏すると、今度は左側の白人連中が喚き出し、そのうち客席の後方では缶ビールが飛び交いだす。「おい、みんな、そろそろヤバいぜ!いつでも逃げる準備しとこうぜ」ってなことをメンバー同士目で合図しながら、ソウルとロックを交互に演奏していると、今度は椅子やテーブルがステージの前で飛び交い出し、あちらこちらで黒人白人入り乱れての大乱闘になり、最後はMPのホイッスルでクラブは閉鎖になり、俺達のステージも終了するわけだ。
これは決して俺達が不真面目に職務を怠ったわけではなく「よお、みんな。同じアメリカ人じゃねえか、仲良くしろよ!」と声を枯らしてステージの上から叫んでもおさまるものではなく、そこにはアメリカが抱える根強い人種問題や戦争という深い闇みたいなもんも存在しており、とにかくこのキャンプ富士でのステージは、何度となく訪れて演奏したが、ラストの回まで務めたことはなかった。
今でもあるのか、キャンプ富士?
さて、25日のリハに備えて20曲、気合い入れておさらいせねば!!