穢れる。

穢れる
我が家のお向かいさんには幼い二人の姉妹がいて、時折ピンポーンと遊びにきたり、一緒にバーベキューや餅つきしたり、道ですれちがえば「ミッキー」と手をふったりと、いい感じでおつきあいさせてもらっている。
子供はいいな、可愛いな。俺には血を分けた子供がいないので、子育てという人生最大の大仕事は想像もつかない。なにしろ一人の人間を育てあげていくわけだから、並大抵の苦労であるには違いない。

それでもあの穢れのない純真無垢な瞳を見た時、世の親は全てを許してしまうんだろうな。無邪気とはよく言ったもんだ。

ああ、俺も邪気を知らないあの頃の心を取り戻したい。酒池肉林に歓喜し、愛欲に溺れ、厳しく己を律することなど考えたこともなく、世俗の垢に浸りきった俺が「何をぬかすか、菜っ葉の肥やし」ではあるのは重々承知ではあるが。

もはや手遅れとは思いつつ、たとえほんの僅かでもチャンスをいただけるのであれば、この穢れた我が身を浄化したいとかなり大真面目に願い、しばし考えた結果「そうだ、これは神様にすがるのが一番の得策」の答えに辿り着いた。
心の広い神様の深い慈悲をもってすれば、こんな自分にも救いの手を差し伸べてくれるにちがいない。またしても好都合な解釈とは知りつつ、埃ににまみれた御朱印帳をとりだした。

それと昔プレゼントされた神様カードなるものをケースから出し並べてみた。

なるほど、さすがに神様を深く研究し造詣の深い方の言葉は重い。穢れとは気枯れともいい、気が枯れて元気を失い、本来の神性が曇った状態、すなわちケガレた状態らしい。
そうかそうか、またひとつ多いに勉強になったぞ。ならば早速本日只今より自らの根性を入れ替え、神社の近くはす通りせず、平身低頭90度ぐらいに深くお辞儀し既に失った穢れのない心を少しでもいいから取り戻そうと誓ったよ。

いや、正確には努力しようと思った。