納得。

前置き。この話は四年前のもので、現在の俺は人が変わったように労働に励んでおりますます。あしからず。

告白

40代の頃毎晩のように親しい仲間と遊んでいて、気分が高揚すると「よし、今から首都高一周と行こうぜ」と、チェッペリンやクリームなんかをフルボリュームにして深夜の都内一周ドライブなどよくしていた。
そして更に気分が盛り上がれば「長野の友達に会いに行こうぜ」と中央高速をぶっ飛ばし、そしてそしてもっと気分が高ぶれば、愛しい女子に会いに深夜の東名を神戸まで500キロ一目散ってな事もありました。

今はと言えば、判で押したような毎日。あの頃のようなパワーや高揚は何処へ?特にここ湘南で暮らすようになってからは、毎朝6時には起床しコーヒーとパンで朝食をすませた後、新聞で世の中の出来事を把握しつつ洗濯をし、庭の植木の水やりやら雑草などの草むしり、波のある日はボードを抱えて海へ波乗り三昧。夕食は6時前にすませ、夜9時には就寝。この規則正しい生活リズムが妙に気に入り、これを守るためには色々なものを犠牲にしてきた。気がつけば年収は百万円にも充たず、さすがに「これではまずい!何か仕事をせねば」と、あらゆる方面に手を尽くし頭を下げお願いしまくるも、世の中の厳しい現実は俺の想像をはるかに超えており、しかも「どうもあいつは怠けた遊び人」というレッテルが起因してか、自分の思い描くようには道が開かれない。

こんなことでくさくさしていては体に悪いと、悩みを捨て元気よく海へと。しかしながら日曜日や祭日ならいざしらず、これまで住んでいた中目黒とは違い、ご近所の目もある。「きっとあの人は悠々自適な年金暮らしなのね」とか「小金持かも」などとあらぬ評判も無視できない。ならばボードは持たず散歩をよそおい手ぶらで海へと向かった。ここ湘南は江ノ島から茅ヶ崎の馬入川までサイクリングロードなる、まさに海沿いの散歩コースがあるのだ。しかも俺の住んでいる辻堂はほぼその中間地という、絶好の場所にある。自転車専用の道なのでサイクリングする人、ジョギングに汗を流す活気に溢れた人達。砂浜と松林に挟まれたこの散歩コースは深く物思いに耽るにはこれ以上の場所はない。「海は広いな大きいなあ・・・」世間の雑音もなく、耳に入ってくるのはピーヒョロとんびの鳴き声と波の音。

「東京とおさらばして良かった。俺の選択は決して間違いではなかった」すでに俺の悩みなどはあとかたもなく消え、ひたすら波打ち際を歩く。

海にはいろんな物が落ちてる。ハートの形をした石、波で洗われたガラスのかけらや流木。それらを拾い集め家に持ち帰り、絵の具でペイントしてみた。「そうか、60歳にして新たなる己を発見したぞ。実は意外なことに俺はロマンチストだったんだ」それから「ロマンチックに生きるとは、なんと大変な人生を選んでしまったことか。ならば現在の状況はいたしかたがないな。なんだ、そうだったのか。納得したぞ」の結論にたっしたのです。